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アンドレイ・タルコフスキー

題名=「惑星ソラリス」 1972年 165分
原作=ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムのベストセラー「ソラリスの陽のもとに」


                                 
初見はTVだったような・・・父親が喜んで見ていたような記憶があります。
しかし、これ当時TVでやってたのかなぁ・・・。さだかではない・・・。
勿論その頃、多分小学生とかそんなもんだった私にとって、この訳の解らない映画は苦痛以外の何ものでもありませんでした。当然といえば当然ですが・・・。

で、当時、私達一家は海のすぐそばに住んでいたので(ほぼ目の前が海みたいなね)海が異常に恐かった事を覚えています。
夜泣きもしました!かなり感受性の強い子供でしたからね〜当時は・・・

何か異質なものを感じたのか、空気感が違ってたんでしょうね
当時流行っていた
ドラキュラ映画よりも恐かった(←暗い気持ちになってた)

随分後になってから、
「僕の村は戦場だった」「鏡」の監督だという事で、「ああ〜ソラリスってタルコフスキーだったんだ」と慌てて見直すことになりました。

凄かった・・・重かった・・・色んな事が喚起されました・・・
こんな深いテーマを扱ってるんだもんな〜そりゃ泣くって(笑)

私は小説の方は読んだことがありません。どうやら内容や登場人物の設定は全然違うらしいですが、多分面白いんでしょうね〜・・・機会があったら読んでみようかな・・・。

しかし、セリフがいちいち凄いです「〜こんな状況の中では、天才も馬鹿も同じように無力なんだよ・・・」なんて・・・まるで神に対峙した時の人類のよう・・・

ゼラチン状のソラリスの海。実体化する思考。
つまりは自分が考えるところの他者が出現し動き回る世界。・・・なんちゅう孤独。
あなたがいないと生きて行けない私。あなたは私の鏡である・・・
惑星ソラリストとはつまり、
対峙する者の心の深淵を映し出す鏡なのである。・・・恐い・・・本当に恐い!

地球は本当に地球なんだろうか。私が私だとしたら、あなたは本当にあなたあなのだろうか・・・

ラストを見ると、そんな不安に駆られます。
一人の思考によって作リ出され、増殖していく世界。見方によってはこの主人公はソラリスの神とも取れるのです・・・でも彼はただの不完全な人間。・・・これが恐いんです・・・いつまで維持できるんだろう・・・

最後に、私にとってやっぱりタルコフスキーはなのです。
赤坂見附のロケーション・・・あれは確実に音によってそこが何処だか解らなくなってる気がしました。
言われなくちゃ、あれが日本だとは誰も気付かないのでは・・・
次に書く「ストーカー」は気が付いたら映画が終わっていたという・・・タルコフスキーでは珍しくないですね(笑)


2005/3/31UP


題名=「ストーカー」 1979年 
原作=ストルガツキー兄弟の「道端のピクニック」



ゾーンの中に出てくる水は何故こうも美しく感じられるのでしょう。
何故、その小汚い泥水が神聖なもののように感じられるのでしょう。
実生活ではテーブルの上にこぼれた水でさえ気持ち悪い私にとって(その方が異常だよ)その道端の泥水が何故?こうも美しく心地よいのだろう・・・。
自分もその上で転がってみたいとすら思う・・・。
音のせいだろうか・・・水の・・・本当に水なのか?それは。
また変なところから食いついてしまった!
でもタルコフスキー作品において水は最も重要なファクターだし・・・。
「水より美しいものは存在しない」とタルコフスキー自らが公言しているくらいだから、ここには引っかっかって当然でしょう。
そういえば、ゾーンの水を羊水と考える説もありました・・・なるほど〜ロマンチックだなゃ〜

ところで本題です
隕石の落下後、突如出現したゾーン(地帯)その中に存在するある部屋に入れば、全ての望みが叶うといわれている。(軍隊まで全滅させるこのゾーンって・・・)

ゾーンの部屋を「神」とする説があり、(共感)今回はその説に則って考えてみました。
もしくは
ゾーンの存在自体が「神」部屋が「キリスト」なのかもしれません。
望み=救いとするならば、救いを与える部屋=救いを与える者=神と人間との仲介者としてのイエス・キリストと考えることもできます。

そうすると、この案内人(ストーカー)の言葉がとてつもなく重いものとして響いてくるのです。
「いちばん恐いことは、誰にもあの部屋が必要ではないということだ。」

救いが必要ないという訳ではなく、救いを信じる事ができないという事のように思えるのです。
信じて、全てを捨てて飛び込むくらいなら必要ないと考えてしまう、人間の弱さ、愚かさを嘆いた言葉のように感じるのです。
「ゾーンは絶望した人間だけを通すように思います」というストーカーの言葉も、その部屋の前までであり、そこから先は未知の世界なのである。
信仰というものの難しさと、やはりとてもよく似ていると思うのでした。

2005/3/31UP