ピエル・パオロ・パゾリーニ
題名=「テオレマ」1968年 (イタリア)
出演者=テレンス・スタンプ シルバーナ・マンガーノetc...
しょっぱなから何なんですが、
実は、これ、観てないんです〜(☆0◎)ガ―ン 
観てないのにどうして感想文書けんだよっ!って?
それはですね〜・・・(^^;)
完全なシナリオを読んだからです〜っていいのかよっ!そんなんでぇ〜
なので、役者の演技がどーのこーのという次元の感想は皆無です。
そんな事よりパゾリーニの問題提起の方に興味があったので・・・。
この人は茶化していたのか、本気だったのか
絶望していたのか、それとも希望を持ってこういう映画を撮り続けていたのだろうか・・・
かなりスキャンダラスな殺され方(ごみの中から発見された?)をしたというのも・・・・・
やっぱり本気だったんですよね・・・
で、「テオレマ」に話を戻すと
話は、精神的に腐敗の進んだブルジョアの家庭という閉鎖的な環境の中で話が進んで行きます。
ここに不意にやってくる一人の青年がテレンス・スタンプです。
物語の説明の前に、まずこの物語が
寓話的なスタイルをとっているという事を書いておかなくては!
なので、それでいくと、
この青年は神からの聖霊的な役割をはたしているという事になるのでしょうか・・・
つまり、神からの啓示によって、苦痛のうちに自分自身を知るという事を
この物語の中では、テレンス・スタンプ演じる青年との性的な交流によって自分自身を知るという設定に置き換えられていると思うのです・・・・・寓話だから・・・いいんですけどね。
しかも、この啓示は青年が立ち去った後にやって来ます!
それは、中途半端に腐敗していたものを破壊しつくす「絶望」という形をとります
なぜ、ひとり女中のエミリアだけが、この破壊と絶望を免れ故郷に帰って聖女となったのか。
エミリアだけ他人という事もあるだろうし、腐敗したブルジョアですらなかった訳で、
はたして、エミリアが暗示していたものが何だったのか、何を言いたかったのか。
これはもう、パゾリーニにしか判りません。
この終わり方ではどっちにでもとれてしまうんです・・・。
勿論映画のラストで叫んでいるパオロ(親父)は絶望側なので、
あくまでもエミリアの最後についてなのですが・・・。
彼女は神の道に目覚め、遂には奇跡で人を癒せるようにまでなっていきます。
しかし、彼女の最後は人に頼んで自らを喜びのうちに生き埋めにしてもらうという・・・
どうなんでしょうか・・・。
・・・・・ん〜〜〜・・・やっぱり希望を持ってこういう映画を撮っていたと思いたいんですよね〜・・・
05/9/8UP
題名=アポロンの地獄
本文作成中