ウイリアム・フリードキン
題名=「エクソシスト」 1974年 (アメリカ)
出演者=エレン・バースティン リンダ・ブレア ジェーソン・ミラーetc...
この映画が日本にやってきた頃、普通にビンボーだった私の家にはフロが無く、まだ銭湯というものに通っておりました。
どこの銭湯でも同じだとは思うのですが、当時、銭湯の壁には映画のポスターが、所狭しと貼られておりました。
そして、この「エクソシスト」のポスターも、シッカリと貼られておりました。
それは、映画の内容の忌まわしさ、毒々しさとはかけ離れたもので、薄暗闇にたたずむ神父のシルエットだけという、シンプルで美しいものでした。(多分)
しかし、これが本当に、嵐の前の静けさという言葉がピッタリとくるポスターで、
その内容たるや、タブーの連続、もとい、タブーだらけの映画だった訳です
観た方も多いと思いますので、もう皆様ご存知なのでしょうけれど・・・
ワタクシはっきり言って、二度と観たくありません・・・と言うより観れません!
ディレクターズ・カット版などで再上映、再々上映されているようですが、
・・・・・そのコマーシャルですらダメです
この映画が、アメリカで上映された時、館内で失神したり、嘔吐したりする観客が続出したというのは有名な話ですが、やはり、日本人と違って、キリスト教社会に生きる人々のショックたるや、計り知れないものがあったようです。

まず、根底にあるのが、キリスト教の「二元論」であり試される人間、試す悪魔。
なぜ神が沈黙していなくてはならないかの答えがここにあるのです。
試しているのは悪魔で、つまり、「私の主張が間違っているのかどうか試させろ!」
という事なんだと思うのです。
「全ての人間は、極限の恐怖や誘惑の前では、神への信仰を投げ捨てるであろう」という悪魔の主張に対する答えを出すべく試されているのです。
と、私が考えられるキリスト教の「二元論」と言ったらこんなくらいのもので、
本当のところは・・・・・判りません。
で、根底にこんなものが流れていたのでは、・・・・・・・・・・怖くない訳が無い
この映画が、史上最強の恐怖映画となったもう一つの理由は、・・・演出でしょうか
まず、悪魔が入り込んだ体が、いたいけな少女だという事!
天使のようだった少女が、まるで色●狂のようになり
冒涜的な言葉を吐き続けるというギャップ!
リンダ・ブレアの顔が西洋によくあるちょっと怖い天使の彫刻に激似だという事もかなり重要な要素
そして、試されるはエクソシスト(悪魔祓い師)である神父達
この映画の中には、二人の神父が登場します。
ひとりは熟練したメリン神父。もうひとりは、まだ若いカラス神父。
そして劇中で、本来頼るべき神父ですら「弄ばれる」という状況を見せつけられ、私たちは一挙に不安定な状態にされ、そのまま映画館にもしくは自宅のTVの前に投げ出される訳です
ここで、すでに現実と映画という作り物との境界が取り払われ、
人間の根本的な不安を、恐怖を、どうしたら良いのか判らなくなってしまうのです!
そこに持ってきてあの映像ですからね・・・・・
しかし、全ては少女に入り込んだ悪魔が見せていた幻影だった訳で・・・・・
多分、最終的にこの結末は、カラス神父が悪魔に欺かれたという事になってしまうのでしょうか・・・
メリン神父は「挑発に乗ってはいけない」とか「真剣に聴いてはいけない」と、警告していたのですが・・・
そう考えるとカラス神父は見事に悪魔に欺かれたという事になってしまうのです・・・。
つまり、一番最初に書いたポスターの静けさじゃないですが、
実は、現実的には何も起こっていなかったという事で、
そこに対峙する者達だけが、そのおぞましい幻影の中に巻き込まれていたという
・・・幻影って何?現実って・・・何?・・・みたいな気持ちになったりもします
でも、ワタクシこれシッカリとは1回しか観てないんです・・・・・しかもTVだし
勿論「二元論」なんかについては後日知った知識ですよ!
しかも、間違ってるかもだし(^^;)
なので、当時は何が何だか判らなかったものが、少しずつ判ってきたという、そんな感じでしょうか
これ程二度と見たくない映画は他には無いです